30年以上も前から産消連携や安全農産物生産の取り組みを永年行なってきた「JAみやぎ仙南」の角田地域は、みやぎ生協との関わりも深く、「JAみどりの」田尻地域と共に、みやぎ生協の「産直ふるさと米」のふるさとです。
「最初はふるさと米として1988年に始まったんです。関心のあった3地区だけでの生産でした」
と話すのは、「角田市ふるさと安心米生産組合協議会」の会長高橋健一さん。角田地域では、10町歩以上のほ場のみを厳選し、ふるさと米として取り組みはじめたそうです。角田の地域は、水田の空中防除のヘリ散布を県内でもいち早く取り入れ、そしていち早く取りやめたところでもあるといいます。
「子どもたちに安心でおいしい米を、最低限の農薬にしぼった米を作りたいと思った」
と高橋さん。
このあたりは10町歩以上の田んぼを集落ごとで作っていたので、共同作業が多く、ふるさと米の取り組みもしやすかったといいます。
「ただ、その年はいもち病が多発して、穂先が軽くて、はせがけしても飛んでしまったり。来年は、辞めたいという人が多くて大変だったんですよ」
高橋さんたちは、ふるさと米をどうしても成功させたいと、翌年一緒にはじめたメンバーを説得して回り、同じメンバーでもう一度ふるさと米作りに取り組んだのです。
それから3年後、高橋さんたちの田んぼに視察にくる人が増えて、自分たちの米作りに感心があることがわかり、自信を持ちました。
「最初は、3地区30町歩からのスタートでしたが、今では36集団1092名以上の仲間にまで増えました」
「最初はふるさと米として1988年に始まったんです。関心のあった3地区だけでの生産でした」
と話すのは、「角田市ふるさと安心米生産組合協議会」の会長高橋健一さん。角田地域では、10町歩以上のほ場のみを厳選し、ふるさと米として取り組みはじめたそうです。角田の地域は、水田の空中防除のヘリ散布を県内でもいち早く取り入れ、そしていち早く取りやめたところでもあるといいます。
「子どもたちに安心でおいしい米を、最低限の農薬にしぼった米を作りたいと思った」
と高橋さん。
このあたりは10町歩以上の田んぼを集落ごとで作っていたので、共同作業が多く、ふるさと米の取り組みもしやすかったといいます。
「ただ、その年はいもち病が多発して、穂先が軽くて、はせがけしても飛んでしまったり。来年は、辞めたいという人が多くて大変だったんですよ」
高橋さんたちは、ふるさと米をどうしても成功させたいと、翌年一緒にはじめたメンバーを説得して回り、同じメンバーでもう一度ふるさと米作りに取り組んだのです。
それから3年後、高橋さんたちの田んぼに視察にくる人が増えて、自分たちの米作りに感心があることがわかり、自信を持ちました。
「最初は、3地区30町歩からのスタートでしたが、今では36集団1092名以上の仲間にまで増えました」
■より安全・安心。そしておいしい米を目指して。
産直ふるさと米は、農薬・化学肥料を宮城県の慣行栽培の1/2に削減して栽培。栽培方法は、安全・安心を重視して完全マニュアル化されており、できるかぎり農薬に頼らない栽培を基本にしています。また、10ha以上の集団栽培を条件としているため、慣行栽培をしているほ場からの農薬飛散を防ぐと共に、作業の効率化も高めることができます。
「農薬を減らすことは、まず土を作ること。角田では、あか鶏や産直豚の堆肥を使っています。それを完全実施するために、協同散布なんですよ」
と高橋さん。
遺伝子組換えしない飼料を与え、抗生物質や抗菌剤の使用を控えた「産直あか鶏」や「産直豚」のフンを主原料とした堆肥を使っているといいます。
「普通は農協に出荷したら終りと思う農家が多いですが、ここの方々は棚から取ってもらって売れるところまでしっかり考えています。農家のレベルが高い。そして結束が固いというかチームワークがいいんですよ」
と話すのは、JAみやぎ仙南の澤田仁さん。
産直ふるさと米を担当し、産直ふるさと米の生産者は、JAからのおしきせで農薬を減らしたり、栽培方法をマニュアル化したのではなく、生産者の中で自らルールを作って取り組んだといいます。
「協議会の代表者会議も月2回、その他に集落ごとが月3~4回、病害虫が出た時は5回も、6回も会議があります」
と高橋さん。
1,000人以上の協議会のメンバーをまとめて、同じ方向を向いて米作りを進めるためには、それぞれのコミュニケーションが大切なのだといいます。
「メンバーさんの顔が見えるというのが大きい。土作りは時間もお金もかかるけど、メンバーさんからの美味しいと言う言葉をもらうと、やっぱり嬉しいもんですよ」
■ひと粒でも多く、メンバーさんに届けたい
1994年、日本国内のあらゆるスーパーや販売店の店頭から米が消える冷害による米パニックが起こりました。みやぎ生協も例外でなく、店頭から米が消え、生産者もそしてメンバーさんも大きな被害を受けました。
「一俵3万円で買いに来る闇業者もいましたけど、このあたりでは絶対売らなかった。ひと粒でも多く、生協のメンバーさんに食べてもらおうと全部生協に出しましたね」
メンバーや生協からは見舞金という形で、生産者への支援もあり、とてもありがたかったといいます。
「苦しいことがあって初めてつながりが強くなった。冷害があったことも無駄じゃなかったんです」
現在、角田地区では、ひとめぼれを中心に、ササニシキ、コシヒカリ、まなむすめ、みやこがねもちの5品種を生産している。
「メンバーさんからの要望で作っています。私たちは、生協のメンバーさんが欲しいと言うものをいかに作っていくかという事を大切にしていますから」
と澤田さん。
メンバーさんからの要望にあった米、野菜をどういう形で供給体制を作っていくかが、この地域の大きな特徴でもあるといいます。
1994年、日本国内のあらゆるスーパーや販売店の店頭から米が消える冷害による米パニックが起こりました。みやぎ生協も例外でなく、店頭から米が消え、生産者もそしてメンバーさんも大きな被害を受けました。
「一俵3万円で買いに来る闇業者もいましたけど、このあたりでは絶対売らなかった。ひと粒でも多く、生協のメンバーさんに食べてもらおうと全部生協に出しましたね」
メンバーや生協からは見舞金という形で、生産者への支援もあり、とてもありがたかったといいます。
「苦しいことがあって初めてつながりが強くなった。冷害があったことも無駄じゃなかったんです」
現在、角田地区では、ひとめぼれを中心に、ササニシキ、コシヒカリ、まなむすめ、みやこがねもちの5品種を生産している。
「メンバーさんからの要望で作っています。私たちは、生協のメンバーさんが欲しいと言うものをいかに作っていくかという事を大切にしていますから」
と澤田さん。
メンバーさんからの要望にあった米、野菜をどういう形で供給体制を作っていくかが、この地域の大きな特徴でもあるといいます。
■よりおいしい米を目指して
2006年には、これまでの安全・安心の米作りや環境作りに対して、「オリザ賞」と「環境保全型農業コンクール」の大賞(農林水産大臣賞)を受賞しました。
「これまでやってきたことへの評価だと思っています。ずっとむかしから続けてきていることで、私たちにとっては特別なことでもない」
と話します。
宮城県のエコファーマーの認定も受けていますが、それに対しても特別な感想はなく、高橋さんたちのやってきたことにようやく時代と行政が追いついてきただけなのかもしれません。
「今は、安全・安心の米があたり前で、普通栽培の米ではだんだん食べてもらえなくなってきている。私たちがやっていることは15、16年前からあまり変わってはいないんです。メンバーさんとの話し合いの中で、レベルは確実に上がってきているとは思っていますけど…」
安全・安心は、今のままの生産体制なら大丈夫と胸をはる高橋さん。次はより美味しいと思ってくれる米を作るのが目標だといいます。
「10人が食べて、7人ぐらいは旨いといってもらえる米を作りたい。そのためにはきちんと土作りからはじめないとね」
真面目にそして誠実に。米作りをするという「角田市ふるさと安心米生産組合協議会」。もうすぐ新米も出荷されます。美味しい産直ふるさと米に出会える季節です。
2006年には、これまでの安全・安心の米作りや環境作りに対して、「オリザ賞」と「環境保全型農業コンクール」の大賞(農林水産大臣賞)を受賞しました。
「これまでやってきたことへの評価だと思っています。ずっとむかしから続けてきていることで、私たちにとっては特別なことでもない」
と話します。
宮城県のエコファーマーの認定も受けていますが、それに対しても特別な感想はなく、高橋さんたちのやってきたことにようやく時代と行政が追いついてきただけなのかもしれません。
「今は、安全・安心の米があたり前で、普通栽培の米ではだんだん食べてもらえなくなってきている。私たちがやっていることは15、16年前からあまり変わってはいないんです。メンバーさんとの話し合いの中で、レベルは確実に上がってきているとは思っていますけど…」
安全・安心は、今のままの生産体制なら大丈夫と胸をはる高橋さん。次はより美味しいと思ってくれる米を作るのが目標だといいます。
「10人が食べて、7人ぐらいは旨いといってもらえる米を作りたい。そのためにはきちんと土作りからはじめないとね」
真面目にそして誠実に。米作りをするという「角田市ふるさと安心米生産組合協議会」。もうすぐ新米も出荷されます。美味しい産直ふるさと米に出会える季節です。