食品の安全の取り組み:
取り組みの歴史
みやぎ生協が取り組んできた
食の安全・安心
「安心して食べたい」という思いは、昔も今も変わらない生協メンバー(組合員)の願いです。
1970年日本生協連は酸化防止剤、合成保存料、かび防止剤、着色料を排除したCO-OPバターを開発しました。
1982年に宮城県学校生協と宮城県民生協が合併し、みやぎ生協が誕生しました。その設立趣意書にも「新組合に期待されるもの」の1項目目に「『よりよいものをより安く』『くらしと健康を守る』組合員要求を大きく発展することができる」と記述されており、安全安心なよりよいもの、くらしと健康を第一の要求に掲げています。
みやぎ生協は合併以前から、「顔とくらしの見える産直」に取り組んでおり、産直の歴史は1970年当時の角田市農協との豚肉・鶏卵の生産開始にまでさかのぼります。宮城県の「食の安全・安心」への一歩は産直から始まりました。
当時、食品添加物が大量に流通し「赤いウインナ-」があたり前の時代でしたので、安全への思いをコープ商品という形に結実させ、利用を結集して生協は成長してきました。その象徴的な運動が1983年の「食品添加物規制緩和」反対全国800万人署名運動であり、1987年のZリスト運動でした。
食品の安全にとどまらず、1987年には「食生活のあり方提案」を策定し、食生活と健康の結びつきをいち早く提唱し、「主食しっかり、副食改善2:1:4運動」をすすめてきました。2007年からは新たに「新・食生活提案」を推進し、「食と健康は生協で」をすすめてきました。
食品安全行政の転換
このような運動のもとで、2000年には「食品衛生法の改正と充実強化」を求めた署名運動が全国で行われ、日本全体で1375万筆、宮城県内で23万筆を超える署名が集まり、国会で請願が採択されました。
一方、2001年国内におけるBSE(牛海綿状脳症)の発生、それを悪用した食肉の偽装詐欺事件という一連の食品事件が日本国中の消費者の怒りを呼びました。国もことの重大性にようやく重い腰を上げ、消費者の声や世界の先進例に学び、2003年通常国会で「食品安全基本法」を制定、「食品安全委員会」の設置、および「食品衛生法」など関連法を改正しました。
生協が1960年代から求めてきた「安全安心な食品を食べたい」という運動がようやく行政に受けとめられました。
この「食品安全基本法」を中心とする新しい食品安全行政の考え方は、EUを中心に国際的に取り入れられていたリスクアナリシスの考え方を基本にした意味でも、画期的であったと言えます。
「食品安全基本法」の制定と「食品衛生法」の改正により、国の食品安全行政は大きく転換しました。まだまだ不十分さはありますが、消費者の意見の受け皿ができました。
「食品安全基本法」では、地方自治体においても「地方公共団体の責務」が明記され、「国との適切な役割分担を踏まえて食品の安全性の確保に関する施策を策定し、実施すること」が求められています。
宮城県では、2002年の宮城県産生かきへの韓国産生かき混入問題を契機に、「食の安全安心対策室」(現在「食と暮らしの安全推進課」)が設置され、「食品の安全行政をすすめる懇談会」(構成団体:宮城県生活協同組合連合会・仙台市消費者協会・主婦連合会仙台支部・宮城県地域婦人団体連絡協議会・宮城県消費者団体連絡協議会・みやぎ環境とくらしネットワーク・生活協同組合あいコープみやぎ・みやぎ生活協同組合)で「食の安全の条例をつくってほしい」との要望を出しつづけ、ついに2004年3月の県議会で「みやぎ食の安全安心推進条例」が成立しました。
「食品安全基本法」には盛り込まれなかった「消費者の権利」が記され、私たちの要望が組み入れられました。
みやぎ生協の食の安全年表
みやぎ生協の動き | 西暦 | 社会の動き |
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1947 | 食品衛生法制定 | |
宮城県学校生協設立 | 1952 | |
1955 | 森永ヒ素ミルク食中毒事件 | |
コープ商品の開発スタート(コープバター) | 1960 | |
1968 | カネミ油症事件発生 | |
1969 | 食品添加物チクロ使用禁止 | |
生協と角田市農協間で豚肉・鶏肉の生産開始(産直のはじまり) 宮城県民生協設立 |
1970 | |
みやぎ生協設立 第1回産直交流集会(以降、毎年開催) |
1982 | |
「食品添加物規制緩和」反対全国800万人署名運動 日本生協連で「食品添加物の総量規制」の考え方を提唱 |
1983 | |
日本生協連「食品の表示手引き」作成 | 1984 | |
産消提携推進協議会発足 日本生協連にZリスト委員会設置 |
1985 | |
ホヤによる食中毒事件 | 1986 | |
「食生活のあり方提案」を第5回総代会で決定。 食生活改善運動はじまる。 日本生協連の「Zリスト」の食品添加物を取り扱いからはずす Zリスト運動を開始。 |
1987 | |
宮城県協同組合こんわ会設立 | 1991 | 食品添加物全面表示義務付け |
1993 | 米パニック。外国産米を輸入。 | |
「食品の安全総合政策」作成・「Zリスト」から 「全面禁止添加物」「使用禁止添加物」基準への変更。 |
1995 | |
全酪で生協牛乳表示偽装が発覚 | 1996 | O-157食中毒発生 |
宮城県生協連を中心に 「食品の安全行政をすすめる懇談会」が設立される。 |
1997 | |
天然添加物の取り扱い基準を策定。 「環境ホルモン問題連絡会」を設置し、みやぎ生協での 環境ホルモン含有の化学物質の取り扱い事業対応を決める。 ホタテによる食中毒事件 |
1998 | |
2000 | 「雪印」食中毒事件 | |
日本生協連「食品衛生法改正と充実強化を求める請願署名」を行い、 宮城県で24万筆、全国で1400万筆の署名を集める。 サッカリンの取り扱いについてメンバー討議。 |
2001 | アレルギー物質5品目表示義務化 日本で初めてBSE発見 |
生産データ追跡システムを導入 | 2002 | 宮城県産生かきに韓国産混入疑惑 宮城県に「食の安全安心対策室」設置 |
2003 | 「食品安全基本法」制定・ 「食品衛生法」「JAS法」等の改正 宮城県「みやぎ食の安全安心推進条例」制定 |
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「みやぎ食の安全安心推進条例」に基づき 「食の安全安心取組み宣言」開 |
2004 | |
みやぎ生協新・食品添加物基準を策定 | 2006 | 残留農薬のポジティブリスト制の導入 |
みやぎ生協 新・食生活提案 | 2007 |